私は自分の思いを相手に伝えることが苦手。ううん、ちょっと違うな。相手の良い所を見つけて褒めたり感謝を伝えるのは得意な方だと思う。こういうプラスの事を思いのままに素直に伝えることに何の抵抗もない。でも相手に何かしてほしい「自分の要望」や腹立たしい「マイナスの感情」はめちゃめちゃ抵抗がある。
相手が喜びそうなことはためらいなく言えるのに相手が「嫌がるかもしれない」ことはハードルが高い。こういう人多いんじゃないかな。私だけじゃないと思う。
なんでだろう?なんでこんなに言えないんだろう。絶対に誰かにお願いしなきゃいけないことであってもモヤモヤしながら後回しにしてしまうのはなぜ?お願いされる方の立場なら打診は早い方がいいのはわかってるのに・・
シンプルに
断られるのが怖いから、かな。
誰かに協力をお願いした時に断られるのは本当に怖い。絶望の底に叩き落されるから。お前は助けてもらえるような人間じゃないって見捨てられたようで惨めになるから。
結婚生活ってお互いに協力しないと上手くいかない。だから夫に協力してほしいと言われたら私が出来ることは手伝った。でも、逆は無いんだよね。重いものを運んでほしい時も何度もお願いしてやっとあからさまに嫌そうな顔で動く。食事の皿を運ぶのも「女の仕事」と言ってやってくれない。お腹すいた、早く食べたいと私を急かしてる時でも。私は困ったときしかお願いしないのに基本断られる。結局諦めるか、私一人でなんとかしてきた。
子どもが生まれてからますます助けてくれなくなった。というか助けてくれないとどうしようもない事態が起こるのに知らん顔もしくは「俺様が考えたカッコいい協力(その時のニーズには全く合わない的外れな行為)」)をされた。体力的にツラいからお願いしてるのに「甘え」とか「ツラいはずない」ときめつけられたり「体力的にツラくて俺に何かやらせるならもう休みの日に出かけるのはやめよう」と脅されたり。
協力をお願いすると嫌な気持ちにさせられることばかりになってた。私が困っててもスマホゲームの方が大事。心底嫌そうに拒否するかブツブツ文句言いながらやってくれるか。こうなると、やってくれたとしても全然ありがとうって思えないんだよね。一ミリも嬉しくない。嬉しくないのにありがたくないのに一応「ありがとう」と言わなきゃいけない状況。
「・・・なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだよ・・(小声でブツブツ)」
「・・・ありがとう。」
「フン!」
地獄でしょ?(´;ω;`)
こんなんじゃ何も頼めなくなるよね。頼みたくもなくなるよね。
相手が夫じゃなければ「手伝ってくれてありがとう!助かったよ💛」
「どういたしまして、力になれて良かったよ💛」ってなるよね。大概は。
ずっと悲しかった。夫だよ?一生助け合って生きていこうって誓った相手だよ?そんな唯一の存在からすらも助けられない私って何?私を愛してくれているはずの相手が私に手間や時間をかけることを嫌がっている事実。私ってそんなに価値のない人間なんだろか?何度も拒否されて何度も迷惑そうな顔をみせられて心が折れてしまった。もう嫌な顔を見たくない。あんな迷惑そうにされたくない。自分の存在を否定されたくない。「何かを頼む=存在を否定される」っていう思い込みが私の中で出来上がってしまっている。20年近く冷たく突き放されてきた結果。
大好きな相手から突き放されるって想像以上にダメージでかいよね。他の人ならそうでもないことでも。
これは想像以上にダメージがでかくて日常生活に少し支障が出てる。何かを頼むときに必ず躊躇してしまう。美容院や病院に予約するときでさえ。断られたらショックだから。私自身を否定されたように感じてしまうから。そんなことはないって頭ではわかってるんだ。でも心の底にいるもう一人の私が言うの。「断られたらどうしよう、怖い」って。「私なんて助ける価値が無いから断るのかも」「私の事が嫌いだから断るんだ」って。息子にお手伝いを頼むときにもこうやって声がする。心がやられないうちに脱出したつもりだったけど十分病んでるかもしれない、うん(笑)
日々この声と向き合いながら、恐怖を癒しながら頼みごとをしてる。断るのは相手の状況に合ってなかっただけ。私に価値があるとかないとかそういうのは関係ない。私が頼まれごとをされたときに「あの人は助ける価値が無いから」とかそんな理由で断る?断られることと私の価値は全然関係ないんだよって。自分自身と対話しながら””思い込み”を塗り替えていってる。
これもモラ夫にやられた心の傷。誰かに何かを頼まなきゃいけない状況になったら必ずフラッシュバックするもんね。こっぴどく突き放されて絶望したあの時のことが鮮明に浮かぶ。一つ一つ癒していかないとなんだよね。モラはもうここにはいない。あとは治るだけ。自分を否定する要因を少しずつ解体してく。
最後まで読んでくれてありがとう。またこーわいね。