私は「断る」のが苦手。
誰かに何か頼まれたら「いいよ♪」と返したいし、誰かの役に立てたと実感できて嬉しくなるから。周囲から『いい人だと思われたい』『好かれたい』『必要とされたい』。そうすることで【私は存在していいんだ】と安心できてたような気がするな。
もちろんスケジュールが合わないなど何らかの理由で無理なら断れるけれど、その依頼が私がやれば達成できそうなら快く引き受けてた。そうすることで相手にアピールしたかったんだと思う。引き受けるかどうかの基準は「やりたいかどうか」ではなく「やれるかどうか」だった。あ!もちろん良心が痛むようなお願いは断ってましたよ(汗)
○○がせっかく私にお願いしてくれたのに断ってしまったら申し訳ない、という罪悪感が押し寄せる。自分がやりたくないからと言って簡単に断ってしまう人をみると「自分優先で冷たい人なんだな」て思ってしまったり。「お願いを心良く引き受ける私って優しいな~、いい子だなぁ^^」って自画自賛してたりもしたっけ。今思うと痛すぎますが・・^^;
でも、何故かそういう子達の方が人間関係が上手くいってる。どうして??私の方がみんなの役に立っているはずなのに・・。どうして?なんで?どうしてもわからなかった。頼みを断ったり、自由に振る舞っている友人のほうがいつも楽しそうに賑やかな生活を送っている。なのに私はあまり遊びに誘ったりはしてもらえない。誰かのおまけ?的な扱いを受けることが多かった。
そうした経験の積み重ねから《私には価値がない》んだな、と。思うようになっていた。私には価値がないからみんなの役に立たないとダメ。大事にしてもらいたいんだったらどんどんみんなの期待に応えないと!とも。
いつのまにか「~しなきゃ嫌われる。」とか「私が我慢すれば何とかなる。」「私の事を大切に扱ってくれなくても私には価値がないんだから仕方ない。」になってた。これって立派なエネmeだよね。
私はいい人♪って自己満足で胸張って生きてきたけど、子どもが生まれて育児、家事、仕事でいっぱいいっぱいになった時。自分のことは後回しで家族を優先する「良い妻、いい母」を目標に追われるように生活していた私はココロもカラダも擦り切れてボロボロに。疲れているのに眠れない、不眠になって精神内科のお世話になる。
病院でもらった漢方を飲むと体に合わなかったのか、ものすごく気分が悪くなって起き上がれなくなってしまった。当時10カ月の長男がいるのに最低限の家事、育児しかできなかった。が、モラ相方からは文句こそ言われなかったけれど労りの言葉や態度は無く私には無関心。「家事育児が疎かでも文句言わない俺って優しい~キリッ」とでも思っていたのだろう。
この時に少し目が覚めたのかもしれない。私がいくら自分を顧みずに家族に尽くして体調を崩しても相方は私に対して優しくしてくれたり労わってくれたりするわけじゃない。食事の用意が出来なかったら舌打ちされるし、私に無理をさせてしまったなんて思ったりしないのだ。自分を犠牲にして尽くしたところで全くの無駄だということに気づいた。
「出来ること」と「出来ないこと」をわけて「出来ないこと」は勇気をもって断らなくちゃ!!”無理をすれば出来る”レベルの事も断るように。やってもらって当たり前で感謝も労りもない相手には特に。まだまだエネmeから抜け出せてはいないけど「断る」ことができるようになったら精神内科のお世話にならなくても眠れるようになった。
