自分の顔がイヤだったなんて・・・

何気なく鏡に映った自分の顔。普通の顔ならよく見るし違和感ない。でも鏡に映る、歌ってるときの顔をうっかり見てしまった・・・正直、「醜いな」って思ってしまった。

 

いつもは自分を醜いとは思っていないはずなんだけど。なんでかな?自分でビックリした。顔は小さい頃からコンプレックスなのは間違いないけれど。

 

まず、狭いおでこに父親ゆずりの深い3本皺が泣ける・・(T_T)前髪は絶対に上げないで眉下パッツンに。それと、しゃべるとなぜかピクピク動く鼻の穴。すごく嫌。小さい頃、しゃべると友達に指摘されて辛かった。大人になってからは誰からも指摘されないけど、現実には動いてる。

 

わかった。

 

 

私は静止している私は許せるけど、動いている私(表情などが)は醜いもの、自信がない、許せないんだ。

 

 

密かに「私はまあまあイケてる」と思ってたから(笑)ビックリ。ホントに。でも自分の深い所ではそう思えてなかったってことかな。心の底から「私はイケてる!」って思えてたら最強だよね。素敵だよね。

 

 

どうしよう。どうしたら好きになれる?私の顔。生まれた時から死の瞬間まで共に過ごす私の顔。私が私であることの証明である顔。好きになりたいよ。

 

こんなのどうかな?

 

その1  鏡をみながら歌う。歌っている自分の顔に慣れる(笑)

その2  鏡をみながらご飯を食べる。これも見慣れるため。(1と同じ?)

その3 鏡をみながら「私は美しい」と暗示をかける。

 

ためしてみよう。自分を大切にしたい、愛したいから。

 

食べきれずに捨ててしまう食べ物達、ごめんなさい。

自分を大切にする、ということ。自分をないがしろにしている人は大事にされないこと。

 

その一環で、「無理して食べない」ことを実践するようになりました。食べ物は大切、自然の恵みを捨てるなんて!と食べ物を捨てることにかなり罪悪感を感じていた私。他所で出されたものはもちろん子どもたちが残すものもどうにかしないと罪悪感でいっぱいに・・・。これじゃ体に余計なものが溜まりますよね。

 

子ども達の残りは、自分の分を少なめによそって量を減らすことで何とか食べられるよう計算していました。ごみ箱に食べ物を捨てるのがたまらなく嫌だったのです。でも、他所で出されたものはそうはいきません。人数分きっちり出してくださるので(当たり前かもしれませんが)量の調整ができません。申し訳ないけれどもそのまま残してしまっていました。

 

よく考えると。私は一人の尊重されるに値する人間であり、私自身も尊重するべき存在です。大切にしたいと思っている相手に残飯を食べさせるでしょうか?そんなの、ありえない、の一択ですよね。赤ちゃん時代ならまだしも、小学生以上の子どもの残り物を自分のお腹に入れるってどうなんでしょう?あまり意識していませんでしたが、「食事を残しても誰かが何とかしてくれる」という人任せなメッセージを息子に送ってしまっていたのかもしれません。

 

不本意に食べ物を捨てるときは胸が痛みますが、お腹が満足しているのにまだ食べ物を口に入れるのはもうやめました。子ども達が残したものは子ども達自身で「次の食事で食べる」か「ごめんなさいといってゴミにする」かを決めて処理してもらうようにしました。普段の行動について少し考えることで私自身にも子ども達にも食べ物について考える機会ができて良かったと思います。

 

 

食べ物を捨てる罪悪感もあるけれど、食べ過ぎちゃったという罪悪感も存在していたんです。健康診断で血糖値がギリギリセーフな自分のカラダにとっては「食べ過ぎちゃった」方がダメなので。どうせなら健康でいられる罪悪感を選びます(笑)そして、食べ物を残す、残さないは私の課題ではなく子ども達自身の課題にしようと思います。

 

何もかも母親が何とかしなくしゃいけないわけではない♪