「嫌われる勇気」を実践し続けた結果

以前書いた記事「嫌われる勇気」

あれからもアドラー心理学の、「他者の期待を満たす必要はない」「他者の課題に踏み込まない」「自分の課題に他者を踏み込ませない」を心がけて生活してる。

長男が不登校、勉強しない生活を続けていても、心配し過ぎで自分を見失わなかったのはこのアドラーの考え方があったから。もし私が、長男の課題を自分の問題だとして干渉していたら今の親子関係は保たれていないだろうと思う。親として口は出したがあくまでも「私はこう思うけど・・長男君はどう考えてる?」「○○していたら△△のリスクがあるけどその結果を引き受ける覚悟でやってる?」とか彼の行動で起こりうるリスクを提示したり、結果を引き受けるのは自分だから考えて行動してほしいというスタンスで接した。

そのおかげか、長男は自分で選んだ高校に通学しているし「授業が分かりやすくて楽しかった」と板書したノートを見せてくれた。ノートをとるなんて初めてだったんじゃないかと思う。勉強に前向きな姿勢をみせる彼をみて私はすごく嬉しい。

仕事面でもいい変化があったよ。

私は仕事相手から取引をやめたいと言われた時、以前なら心臓がバクバクして「私自身が拒絶された」、「仕事を任せられないダメな奴」と思い込んでしまってしばらく立ち直れなかった。それが今では「他者には他者の都合がある」「自分がダメなわけではない」と思えるようになってものすごくメンタルが安定している。辞めたい連絡があっても冷静に話を聞けるし不安や自責にかられることがほぼ無くなった。

モラ夫に対しても。

いろいろくちうるさくダメ出しをされるけど、ほぼ「知らんがな」精神でスルーしてる。君の不機嫌をもてなす行為はもうしない。君の期待を満たすことはもうしない。不機嫌な奴は放置。私は私のペースで生活する。「出ていけ」と言われるのを私が待ってることを察知しているのか、しつこく責めてこないし暴言を吐くこともないから放置できているんだけど。

対人関係でも。

「嫌われたくない」という気持ちが大きすぎた私。誰かと会話した後、「何か言っちゃダメなこと言わなかったよね?」と必要以上に不安になったりしてた。でも、他者の評価はコントロールできないから自分が気を付けて接してもダメな人とは付き合わなくていいって割り切れるようになって随分気楽に人付き合いできるようになった。

自分と他者の境界線を守る

こんなに自分の心を守るのに大事なこと、だれも教えてくれなかったよ。こどものうちに知りたかった。

「お節介しちゃだめ」とか「人の事に口出ししない」とかはよく聞くけど、ここまではっきり他者と自分の境界について踏み込んだ教えは初めて知ったしすごく共感できた。特に家族関係に関して。

日本は家庭内の出来事は治外法権って風習だよね。家族の窃盗や暴力、性暴力まで裁判しても有罪にならなかったりする地獄としか言えない現状。家父長制が幅を利かせていて「家庭内の問題はすべて女のせい」になっている。夫の不祥事は妻が至らないから、子どもが問題起こすのは母親のしつけがなってないからという風に。

「こどもが問題起こすのは母親のしつけが悪いから」という抑圧で私も潰されかけてた。子どもの行動を母親が全てコントロールすることなんてできないのに「母親の接し方が適切じゃない」「あーしろこーしろ」好き勝手に周囲に意見されて心が引き裂かれそうだった。「夫が優しくないのは妻が至らないから」。一生懸命希望に添えるよう努力したよ?10年以上。でもダメ。優しくすればするほど頑張れば頑張るほどハードルが上がっていった。

そんな時に出会った本「嫌われる勇気」。アドラー心理学。本当に救われた。人間関係、特に家族関係に悩む人にぜひ読んでほしい。

これからもアドラーの教えを支えに私は私で生きていく。

最後までよんでくれてありがとう。またこーわいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA